自分の考える悟りを開くという意味について説明します。

私も身近な人間で悟りを開いたよということを言える仲の友人に話をしました。

しかし、やはり悟りを開くという意味合いが人によってまちまちのようです。

仏教を勉強した友人からは、その悟りは違うといわれたり、精神的に参っている友人に悟りを開いた話をすると喜ばれたりします。

そこで、私の考える悟りを開くについて説明していきたいと思います。

煩悩は悟れない

私の考える悟りでは、煩悩は悟れないと割り切っています。

そもそも人間なのですから、煩悩が無くなってしまっては生きている意味がありません。

私は逆に煩悩は大歓迎だと思っています。

この世を生きる意味は自分がしたいことやりたいことを思う存分体験する事だと思っていますので、煩悩は必要不可欠なものだと思っています。

ですので、私の考える悟りとは人間の立場から考えた悟りだと思っています。

煩悩は死後の世界でなくなる

私の考えでは、煩悩は死後の世界で亡くしていくものだと思っています。

人間は死んだあと、肉体が無くなりあの世と呼ばれる世界に移動します。

その世界は現実と大差ない世界で、自分の思考がすぐに具現化される世界です。

その世界で自分が十分満足するまで好きな事をして過ごすことになるのですが、徐々にこの世で行ってきた事(食べることなど)をしなくなることで別の次元へと移行していきます。

この今までの執着、煩悩が無くなるのが、別の次元へ移行する際に煩悩が無くなる悟りに至ると考えています。

良い人でなくて良い

悟りを開いたというと仏教をかじった友人曰く、分け隔てなくいろいろな人を幸せにするという話をされました。

確かに、いろいろな人に分け隔てなく幸せにすることも大事ですが、人間界ではそれはできません。

理由はその優しさを利用しようという存在があるからです。

よく言われるいい人というのは、相手にとって都合のいい人なわけです。

つまり、都合よく自分の想い道理になる人が自分になった場合、成人でなければ到底許すことはできないと思います。

ちなみに、この世で一番難しいことは「許す」という事です。

今起きていることはただ物事が起きているだけ

ここから少し悟りについて書いていきますが、現在自分のまわりで起きていることは、ただ物事が展開されているだけという事が理解できれば、悟りに近づけると思います。

人は目の前で起こっている現象について何故か?良い事、悪い事など、どこからかの視点でものを決めたがります。

しかし、それはだたあなたがその物事に対して勝手に良い、悪いを決めつけているだけの事で、本当はだた物事が起こっただけにすぎません。

例えば、宝くじを買ったとして3000円が当たったらラッキーと思う人もいれば、3000円だけだったか・・・と落ち込む人もいます。

現実としては宝くじを買ったら3000円が当たったという事実だけなのに、それぞれの人間の視点で良い、悪いと勝手に物事が決めつけられています。

ですので、そういった視点を持つことにより、目の前で起こったことを良い、悪いだけではない視点でとらえることができるようになれば、悟りに近づけるのだと思います。

この物事をただ起きているだけという視点を持つことができれば、いろいろな悩みから解放されるはずです。

未来への不安は意味がない

悟りを開きたい方は心の不安などから悟りを開きたがる人も多いようです。

不安の中でも未来への不安は誰しもが持つものですが、実は未来への不安は意味がないと私は思っています。

そもそも、未来というのはいつまであるのか?分かりませんよね。

しかし、多くの人は自分は平均年齢くらいまで生きると勝手に思い込んでいたりします。

もしかしたら来週事故で死ぬかもしれないのに・・・

それなのに、なぜか未来、将来への不安を勝手に募らせていきます。

そんな未来の事なんて誰にも分からないのに・・・・(本当は分かったりする人もいますが)

私の考える未来を考えなくても良い例として、予定は未定があります。

これは、明日これをやろうと思っていたんだけど、実際に翌日急用ができたりなどで物事が自分の想い道理に進まない事を言います。

例えば、明日草刈りをしようと思っていたら、天気予報がはずれて雨になってできなかったり、友人と会う約束だったのに友人が急用で合えなくなったなどのことを言います。

前日には翌日の予定を準備していたのにもかかわらず、当日になったら予定していたことが想い道理にならないという例です。

翌日でさえ自分の想い道理にならないことがあるのに、数年後、数十年後の事を自分が想い道理にしようとしても、その党利になる確率はどれだけあるでしょうか?

そう考えれば、将来の不安や悩みも本当に実現するかどうか?なんて考えるだけ時間の無駄だと思いませんか?

それならば、自分のやりたい事、楽しい事をして過ごした方がよっぽど人生を楽しんでいるといえるでしょう。

諸行無常

今現在、常識と言えることは未来では非常識であったり、物事の捉え方が変わっていることがあります。

これは常識だけではなく、全てのことが今現在の視点で見ている物事は変化していきます。

例えば、昔だったらバナナは高級果物でしたが、今では手軽な果物です。

また、私はポケモンGOをプレイしていますが、昔は貴重なモンスターも今ではありきたりなモンスターだったりします。

携帯電話が出たばかりの頃はお金のあるビジネスマンが持ち歩く大きな端末でしたが、今では画面をタップして音楽も聴けたり写真を撮影したりできる小さな端末だったりします。

つまり、時代が進むにつれて物事も変化していくという事です。

当然の事ですがこの世は「諸行無常」常に変化をしているのですから、今の物の捉え方は時代と共に変化をしていくという事です。