悟りを開くために修行が必要と考えている方もいるようですが、悟りに修行は必要ありません。
なぜなら、私なんて引きこもりニート経験者で修行なんて大嫌いですし、筋トレも嫌いな自分でも悟りを開くことができたからです。
ではなぜ悟りに修行が必要ないのか?について私の考えを紹介させて頂きます。
悟りの修行ってなに?
悟りの修行というと、滝に打たれたり、座禅を組んだりというイメージがあるかもしれませんが、私はそんなこと一回も行ったことはありません。
もちろん、そういったことをしたから悟りを開けるとも思っていません。
日本は特に仏教などのイメージが強いので、そういった考え方になると思いますが、悟りはそういった修行でどうにかなるものではありません。
ですので、まず修行をすれば悟れるという考え方はやめた方が良いと思います。
正直な話、座禅や滝行で悟れるならずっと簡単に悟れると思います・・・。
私の考える悟りの修行
私の考える悟りの修行について書いていきたいと思います。
スピリチュアルについて学ぶ
私の考えでは、悟るためにはスピリチュアルついて学ばないと悟れないと思っています。
一番重要な点は「この世などのような仕組みなのか?」について、しっかり理解できないと悟れないと考えています。
スピリチュアルについて都合よく理解するのではなく、真剣に理解する事が悟りには必要だと思います。
執着をなくす
悟りに必要な執着をなくしましょう。
といってもこれがなかなか難しいと思われますが、自分の固定概念の鎖を外して、もっと自由な発想、こだわりを捨てる生き方を修行しましょう。
執着は様々な面に影響をしていますので、そのさまざまな面の執着を無くすだけもかなりの修行だと思います。
多くの人が悟りに生きている
私の考えですが、悟りを意識せずとも多くの方は悟りの中に生きていると思っています。
理由は悟りというものは考え方ひとつで切り替えができるからです。
普段何気なく生きている方も自然と悟りの中に生活することで悩むことなく幸せに生きていると思います。
気づかないうちに悟っている人の例
それでは、気づかないうちに悟っている方の例をいくつか挙げていきたいと思います。
- いろいろ悩むことが無く、自分の好きな事で生きている方
- 自分の好きな事を純粋に楽しんでいる方
- どうにかなるさと今を必死に生きている方
- 今できることに注目し、打ち込んでいる方
他にもいろいろありますが、知らず知らずのうちに悟りの中で生きている人はたくさんいると思います。
本当に悟りは思考の切り替えひとつだけですので、その切り替えさえできれば誰でも悟れると思っています。