この世は愛で溢れている理由について説明します。

本当につい最近、この世について新しい見解が見えてきました。

「この世は愛で溢れている」という事です。

人によってはこの世は愛で溢れている訳がない、こんなにも苦しいことがいっぱいあるじゃないかというかもしれませんが、それはあなたの視点で見ているから苦しいと思われることが起こるだけなんです。

という事で、「この世は愛で溢れている」理由について説明していきます。

「この世は愛で溢れている」理由

なぜ私が「この世は愛で溢れている」のか?というと、まず根本的な事象として、一般の方は感じることができないと思いますが、私たち一人ひとりには絶え間ない愛が注がれています。

地球上の生命はもちろん、宇宙全体にこの絶え間ない愛は注がれています。

これは、人によっては気づくことができるかもしれませんし、霊感の強い方、本物の霊能者の方などは、実際に感じている事だとおもいます

具体的にこの絶え間ない愛について説明していきます。

絶え間ない愛

私がこの絶え間ない愛に気づいたのは、霊能者の方といろいろと不思議な話をしていた時や、霊能者の方から聞いたことを第三者に話をするときです。

普通の人では理解できないような不思議な話をすると、なぜか分からないけど言葉に詰まることがありました。

この言葉に詰まるというのは、感情が溢れて涙が出てきそうになる状況になります。

一般の方に分かりやすく説明すると映画などを見て感動して涙が溢れてくる状態です。

当時は本当になぜ?不思議な話をしているのに感情が揺さぶられるのだろうか?と疑問に思っていました。

しかし、先日「感謝」「ありがとう」の言葉について考えたり、記事を書いているときにもこの「絶え間ない愛」を感じることができ、パソコンに向かって記事を書いているのにもかかわらず涙が溢れてきてしまいました。

一応話をしておきますが、私は鬱でも何でもありません。

この涙が溢れてくることを知人の感の強い方に聞くと、「絶え間ない愛」に触れることで感情的になったと伝えられました。

ちなみに知人の感の強い方は小さい頃にはすでにその存在に気づいていたとのことでした。

ですので、霊感の強い方や本物の霊能者の方ならこの存在に気付いていると私は思っています。

多分ですが、霊能者の方などはこの絶え間ない愛を通じていろいろな情報にアクセスしているのではないか?と考えています。

話がそれましたが、絶え間ない愛はすぐそこに、絶え間なく私たちに注がれています。

不幸になるのはなぜか?

ではなぜ、絶え間ない愛が注がれているのに、不幸になるのか?と疑問に思う人も多いと思いますので、そのことについて説明していきたいと思います。

まず、不幸というのはその方の視点で物事を見ているから不幸という事になります。

何を言っているのか?とお怒りになる方もいるかもしれませんが、絶え間ない愛はあなたに不幸になれという理由でその状況を作り出している訳ではありません。

その状況はあなたに必要だから起こされている状況なんです・・・。

学びの観点から起こる不幸

貴方という人間を魂レベルで見た時に、貴方にはその状況が必要、よく言われている「学び」の状況になります。

確かに、誰も好き好んでこんな状況にないよというかもしれませんが、それはあなたがこの世に生まれてくる前に決めてきた課題です。

その課題をクリアするために、絶え間ない愛はあなたの課題をクリアするためにその状況を作り出しています。

気付くために起こる不幸

次に、貴方が幸せであることを気付くために絶え間ない愛が起こしている状況もあります。

本当は幸せなのに、見るべきもの、視点がズレている為に自ら不幸な状況に足を突っ込んだり、不平不満を言ったりすることで、絶え間ないが「あなたは幸せなんですよ」という事に気付いてほしいから不幸と思える状況を作り出している可能性もあります。

スピリチュアルな視点で見ると

多分ですが、このサイトを見ている方は悟りのためにスピリチュアルな書籍を読まれていると思います。

スピリチュアルな事が書かれている書籍には、「いつも見守っている」「愛が注がれている」などと書かれていますが、この「絶え間ない愛」に気づくことができれば、本当に自分には今も「絶え間ない愛」が注がれていることに感謝できると思います。

自分の行動を正すために、自分の考えに気づくために「絶え間ない愛」は常に私たちに成長する状況を生み出してくれている訳ですから。

最後に

まとめると、不幸と思える状況も、貴方の視点では不幸かもしれませんが、絶え間ない愛はあなたのために、貴方に気づいてもらうために、今も愛を注いています。

なかなか気付かないかもしれませんが、既にあなたは絶え間ない愛が常に注がれている状況なんです。

だからこそ「ありがとう」という言葉を口にするべきだと私は思います。

この記事を書き終わりましたが、この内容に納得できる人は少ないかな・・・と思っていますが、気づいてもらえたら幸いです。